2018年の豪雨災害以降一体何回目なのかもわからなくなってしまった街のパネテリエ、今回で最終回とさせていただく決断を致しました。
最終日にようやく担当者さんと確認がとれ、最終日朝に正式な発表となってしまったこと、申し訳ありません。どうして、なんで、とみなさまに言っていただけることが申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちで複雑な思いでいます。
街のパネテリエの役割は、すっかり山の中に籠り制作活動のように商品をつくり、それを街のみなさまへ紹介しながら、こんなお店もある事を知って頂き、みなさまにエネルギーをいただいてまた山に籠る。という、自己満足に近い出店を重ねていました。次はこうやろう、次はでっかい看板掲げてもらうぞ、音楽でみんなを驚かせよう、ライブペイントとかどうやろか。そんな事ばかり考えながらいつもワクワクしながら準備をしていました。
豪雨災害直後の街、広島三越さんへ呼んでいただき、いよいよOPENという営業初日に砂埃の国道2号線は大渋滞、捜索のヘリコプターが車の横低く旋回している中、広島三越へ向かうも大遅刻をしてしまいました。あれから何回ギリギリでの到着に心配をかけながらも、前日にパンを焼くということはせず、夜から生地をコネていました。街のパネテリエと名乗り始めたのは数回を重ねた後です。
たくさんのお客さまに温かく迎えていただきながら、その後も台風で三越さんが初めての臨時休業も一緒に経験したり、コロナの間も営業自粛を三越さんで経験しました。各種イベントにも呼んでいただいて、粗品の提供や、お得意さまのドリンクサービスや、50周年イベントでも広島三越からお客さまへのプレゼントを作らせていただいたりなど色々と可愛がって頂きました。
そうやってどんどんパネテリエを応援してくださるお客さまが増え続け、前回はご褒美のひとつに夢の展望エレベーターにポスターを作っていただいたり、チラシに大きく取り上げてもらったり。お客さまみなさと同じように三越さんには本当に良くして頂きました。
その反面、何度も繰り返しながら、前回よりも売上が超え続け、大手ブランドさんに匹敵するスペースを用意いただきながら、いかにたくさん作って売るか、それが三越さんへの感謝の印のように自分たちを追い込み、どこか大切なことを取り違え始めてしまいました。
そして今回の街のパネテリエ、なんだか、語弊はあるかもしれませんが「置きに行く」ような準備で、友人のTomaに完全に助けてもらっている状況があり、私たちが表現したいことは何なのか、見失いかける瞬間が、三越さんにも申し訳なく、しかし、日々近づくスケジュールの中でできないことも多く、提出物は遅れ、動物達に迷惑がかかり、トマトは傷み、何のために走っているのかわからなくなってしまいました。
「もうやめじゃ!」フラフラの足元で朝の出発時山に向かって思わず叫んでしまいました。
もう一度原点に帰りつつ、次のステップへ進むため、退路を断つことにいたします。これによって、一瞬宙ぶらりんなパネテリエに見えるかもしれません。それでどうするの?と聞かれてしまうことだと思います。
パネテリエの青い旗、白い四角が真ん中にある、あの旗は、国際信号Pの旗、Blue Peterといって、その昔世界中の港で出港を控えた船がマストに掲げるものです。「本船は24時間以内に出港する、全員帰船されたし。」という意味があります。大切な人との別れが近づく悲しい旗です。
しかし、実は、
「パネテリエ、やります!」
とても温かく幸せな日々を終え、パネテリエは重い碇を上げ出港することに致します。いつかまた沢山の作品を積み込んでこの母港に戻ってくるその日まで。
どうぞみなさまごきげんよう!ありがとうございました!